詩素10号に詩「囚人道路」掲載
洪水企画刊「詩素」10号に、 詩「囚人道路」が掲載されました!
2021年5月1日発行の「詩素」10号。
この詩誌は、執筆者同士が作者名を伏せられた状態でお互いの原稿を読み、投票し合って3点前後の作品が巻頭に選ばれます。
今回は7名の方々に票をいただきまして、3度目の巻頭掲載(pp.4-5)を果たしました。
囚人道路という名の”負の遺産”については、以前から何となく知ってはいたものの、改めて関心を持ったのは三笠市博物館で「空知集治監」関連の展示を見学したのがきっかけ。
その少し後、網走監獄に取材したテレビの情報番組で、かつて囚人道路だったという旧道の映像を見たときの印象も、詩作に影響したように思います。
前作の山親爺に続いて北海道ローカル(本当は国家レベルの黒歴史なのですが)な題材で、行数の関係で注も入れられなかったので、どのように読まれるか心配でしたが、その結果は……。以下、頂戴したコメントを抜粋します。
「忘れられることが赦されることとは哀しい。赦されないことは忘れてはならないという逆説ではありますが。罰としての罪の軌跡は生涯消えることはないという宿命のようなもの。代替わりして風化することで(私たちがいなくなってから)赦されるのだろうかと問う。」(平野晴子さんより)
「(詩と作者との:引用者注)距離が近くて、過去の行為が無化されたうえに成り立っていることの現在の痛みの切実さが伝わります。」(菅井敏文さんより)
「”私たちは道を造る”が、何の象徴であるのか、それとも戦時など捕虜の人々による道造りなどがあったのか、私には不明なままに、作品全体を貫くたたみかけてくるような詩のリズム(硬質の抒情)にシビレました。三連の、”北鎮の兵団””合葬墓碑”などの言葉から、おそらく謎が解けるのだろうと思うのですが。」(山本萠さんより)
「『道を造るのが罰だとするなら/地図に描かれる線は罪の軌跡にほかならない』という文が突き刺さりました。自分は何と多くの人々の苦役を見落としてきたことか。『一度も道を踏み外すことなく生きるあなたが』という行にも、自分の欺瞞を見透かされたようでぎくりとします。」(南川優子さんより)
「タイトルと一連と二連に心惹かれました。『シューシュポスの神話』が彷彿としました。ファンタジックな展開になるのかと期待しましたが、詩の半ばから語りのトーンが少し変わって、私のイメージしたものとは成り行きが違っていきました。」(高田真さんより)
「尋常でない重さ、宿命なるものが人に課する重さ、理不尽に厳しい処罰の重さを感じさせる一篇。われわれの日常の耐えうる閾値を超える重量。鉄の文字で書かれたかのような感触がある。」(池田康さんより)
「個性的なタイトル、そして詩の世界ですね。細部までリアルに囚人の生活が描かれていて、映像としてくっきりと浮かんできます。まるで映画の一場面がつながっているように思えました。最終連が好きです。」(吉田義昭さんより)
やはり道外の方には「囚人道路」という言葉からして、あまり認知されていないのかなという印象を受けます。
しかしこの「知られていない」という哀しい事実こそが、本作のテーマ(特に最終連の「うずもれた旧道」の景)をいっそう際立たせるものでもあって、作者としてはむしろ感慨深く感じられたのでした。
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巻末のレビューコーナー「端切れゔゅう」には、馳星周『雪炎』の短評も載せています。
二条が現在住んでいる町(鵡川)を舞台とする「原発」を巡る闘争劇、震災10年の節目に読むにはあまりにもタイムリーな小説でした。
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