【わすれもしない】 作・二条千河

 

登場人物

誠太郎(七十三歳)

巌次(七十三歳)

翔太(巌次の孫)

 

 


○第一場

五十五年前の、巌次の家。

若き日の誠太郎、登場。戸を叩く。

同じく巌次、家の奥から登場。戸を開けようと近づく。

 

誠太郎    巌次。いるだろ。

 

巌次、立ち止まる。

 

誠太郎    巌次。

巌次       ……誠太郎か。

誠太郎    巌次。よかった、ちょっと開けてくれ。

巌次       帰れ!

誠太郎    おい。話があるんだ。

巌次       俺には話なんかねえ。

誠太郎    巌次。聞けよ。

巌次       とっとと帰れ。この、アンポンタンが。

 

巌次、背を向ける。

 

誠太郎    俺、今日、発つんだ。十時の汽車で。

巌次       ……。

誠太郎    前に言ってた、伯父さんの会社で働くことになった。正直に言えば、卒業したかったが、もう、決めたんだ。生きている間は、この町に戻ってくるつもりはねえ。だから、巌次、聞こえているか。ガキのころからの付き合いも、これっきりだ。だから、最後に、仲直りをして……。

 

誠太郎、声を詰まらせる。巌次、奥へ去る。

 

誠太郎    巌次。セツ子のことを、よろしく頼む。

 

誠太郎、駆け出していく。

 

○第二場

五十五年後の、巌次の家。

玄関の奥がすぐに居間になっている。

七十三歳の巌次が、家から出てくる。腰が曲がって、見るからに老け込んでいる。

と、携帯電話の着信メロディが鳴る。演歌だ。

耳が遠いらしく、しばらく気づかないが、やがて家の中に取りに行く。

「らくらくフォン」を手に取り、遠目でボタンを探して押し、耳に当てる。

 

巌次       もしもし。はあ? はあ? 「俺、俺」っちゅうて、あんた、うちには振り込むような金はありゃせんよ。楽して年寄りから金を取ろうなんて、とんでもねえ了見……何だ、翔太か。最初に名前を言えって、いつも言ってるべや。うん?

 

誠太郎、登場。こちらも杖など突いて、年寄りくさい。

土産物らしき紙袋を持って家の前まで来て、しばらくうろうろしている。

 

巌次       小遣いだ? このアンポンタン。それだら、やっぱり、オレオレ詐欺と変わらんべや。今はそうは言わない? 何? うりごめ詐欺? すりこぎ詐欺? どうでもいい、用は何だ。……ああ、あれか。これから取りに来る? かまわんよ。したら、後でな。

 

巌次、また遠目に見て、電話を切る。

ふと、開け放した戸口の前に、誠太郎が立っているのを、見る。

二人、しばらく互いを見ている。

巌次、まずは電話機を家の中に置いてきてから、出てくる。

 

巌次       はい。何か……?

誠太郎    巌……。

巌次       はい?

誠太郎    こちら、生島さん……。

巌次       はい。

誠太郎    巌次さん。

巌次       はい。

誠太郎    野村です。

巌次       はい?

誠太郎    野村、誠太郎……。

巌次       ああ、野村さん。

誠太郎    どうも、久しぶりで。最近、こちらに戻ってきたもんで、ちょっと寄らせてもらったんですがね。

巌次       それはそれは。まあ、どうぞ。立ち話もナンだから。

誠太郎    これは、どうも。

 

巌次、家の中に入る。続いて、誠太郎も。

入り口で、誠太郎がつまずきそうになる。

 

誠太郎    おっと。

巌次       大丈夫ですか。

誠太郎    いやあ、この歳になると、足が上がらなくなりましてな。お邪魔します。

巌次       狭苦しいところですが、どうぞ。(と、座布団など勧める)

誠太郎    ああ、どうも。失礼します。

 

二人、家の中で向かい合って座る。

間。

 

巌次       久しぶりですなあ。

誠太郎    かれこれ、五十年以上もたちますかな。

巌次       そんなになりますか。

誠太郎    早いもんですな、時のたつのは。

巌次       しかし、お元気そうで。

誠太郎    いやいや。やはり昔のようには。

巌次       ははは。お茶でも入れますか。

誠太郎    いやなんも、おかまいなく。

巌次       ちょっと待ってくださいよ。よっこらせっと……。

 

巌次、立ち上がろうとする。が、途中で、止まる。

 

巌次       んん?

誠太郎    どうかしましたか。

巌次       あんた……。

誠太郎    はい。

巌次       ……誠太郎かっ!

 

間。

 

誠太郎    いや、さっき、そう……。

巌次       帰れ!

誠太郎    えっ。

巌次       おまえに出す茶はないわ。

誠太郎    また、出し抜けに、そんな。

巌次       ぬけぬけと、人の家に上がりこんで、図々しい。

誠太郎    いや、そっちの方から入れと……。

巌次       問答無用、とっとと出て行け!

 

巌次、誠太郎を戸口の外まで追い出す。

 

誠太郎    巌次。五十五年ぶりに会った昔なじみに、この仕打ちか。

巌次       何が昔なじみだ。俺は二度とおまえとは口を利かないと決めたんだ。一度決めたことを、何十年たとうと、忘れるものか。

誠太郎    忘れとったろうが、たった今まで。

巌次       うるさい。このアンポンタンが。

誠太郎    聞いてくれ、巌次。俺はこの五十五年、おまえとケンカ別れしたことが気がかりで、仕方なかったんだ。それで、息子に会社を譲ったのを潮に、こうして戻ってきたんだよ。

巌次       ふん。向こうではうまくやったらしいな。さぞ自慢して歩きたいところだべな。

誠太郎    今はもう、ただの隠居ジジイだ。

巌次       杖なんぞ持って、気取ってやがる。

誠太郎    そう何でもかんでも噛みつくんでない。(紙袋を差し出し)ほれ。

巌次       何だ。

誠太郎    土産だ。

巌次       要らん。

誠太郎    かねやの最中だ。

巌次       ……。

誠太郎    ほれ。

巌次       バカにするんでねえ。俺が、食いもんにつられて折れる男だと思っとるのか。

誠太郎    (中から一つ、取り出して)聞きたいことがあるんだ。

巌次       聞きたいこと?

 

誠太郎、最中を一つ、差し出している。

巌次、ひったくり、包みを剥がして、食べ始める。

 

誠太郎    怒らずに聞いてくれよ。

巌次       さっさと言え。

誠太郎    五十五年前のあの日。俺がここに、別れを言いに来た時。覚えとるか、俺が仲直りをしたいと言っても、おまえは戸を閉め切って、顔を出してもくれんかった。

巌次       何だ、文句を言いに来たのか。

誠太郎    最後まで聞け。それはいいんだ。おまえは俺のことを怒っとった。俺は、おまえに謝ろうとして、聞いてもらえなかった。だから、今、改めて、謝りたいんだ。

巌次       ふん。(食べる)

誠太郎    ただな。何を謝っていいのか、わからん。

 

巌次、最中をノドに詰まらせ、咳き込む。

 

誠太郎    おい、大丈夫か。

巌次       ……今、何と言った?

誠太郎    原因を思い出せんのだ。あの時、そもそも俺たちは、何がもとでケンカしたんだっけか。

巌次       ……。

誠太郎    俺もモウロクしたもんだ。ちっとも思い出せん。

巌次       呆れた野郎だ。

誠太郎    巌次。

巌次       謝りに来たやつが、自分が何をしたのか忘れただと。話にならん。

誠太郎    面目ない。

巌次       どうせ、おまえの気持ちはその程度だってことだべな。とんでもねえ了見だ……まったく……本当に……。

誠太郎    巌次。

巌次       何だ。

誠太郎    おまえは、覚えとるのか。

 

間。

 

巌次       覚えとるわ。

誠太郎    したら、教えてくれ。

巌次       断る。

誠太郎    おまえ。

巌次       覚えとる。覚えとるが、おまえのようなやつに、教えてやる気はない。

誠太郎    ……忘れたな。

 

間。

 

巌次       バカ言え。

誠太郎    いいんでないか。お互い忘れたなら、いっそこのまま、忘れたままにしておこうや。せっかくまた、同じ町に住むんだ。昔みたいに遊んでくれ。おまえ、パークゴルフ、やるか?

巌次       俺は、そんな年寄りくさいこと、やらん。おまえと一緒にするな。

誠太郎    一緒にするも何も、同い年でないか。

巌次       とにかく、俺は絶対に、忘れとらんからな。五十五年前、おまえがしたことを。

誠太郎    したら、言ってみれ。俺はおまえに何をした?

巌次       イヤだ。

誠太郎    なして。

巌次       なしてもだ。

誠太郎    強情なやつだ。五十五年もたって、ちっとも変わっとらん。

巌次       余計な世話だ。

 

翔太、登場。巌次の孫である。

 

翔太       じいちゃん。

巌次       おう、翔太。

翔太       (誠太郎に)チワ。

誠太郎    こんにちは。

巌次       どうした、翔太。

翔太       どうしたって、さっき電話したしょ。

巌次       電話。

翔太       DVD。

巌次       ああ、思い出した。ちょっとそこで待ってろな。

 

巌次、家の中へ入る。

 

翔太       (中へ向かって)じいちゃん、最近、物忘れひどくなったんじゃないの。

誠太郎    失礼だが、巌次の、お孫さんかね。

翔太       そうですけど。じいちゃんの友達? ひょっとして、「誠太郎」さん?

誠太郎    そうだが、どうして。

翔太       (中へ)よかったね、じいちゃん。死ぬ前にもう一度会えて。

巌次       (顔を出して)翔太。余計なことを言うんじゃない。

翔太       どうしてさ。

巌次       いいから、黙ってろ。(と、また中へ戻る)

翔太       酔っ払うと、誠太郎さんの話ばっかしてるんですよ。

誠太郎    巌次が?

翔太       勉強も、運動も、何やってもかなわなかったけど、一つだけ自分の方が勝ってたことがあるって。

誠太郎    ほう。

翔太       顔は、自分の方が男前だったって。

誠太郎    ははは。

翔太       次の日になると、言ったこと、全部忘れちゃうんですけどね。

誠太郎    そうか……。

 

誠太郎、最中を一つ出す。

 

誠太郎    翔太くん、と言ったかね。(と、差し出す)

翔太       はい。あ、どうもです。(もらう)

誠太郎    ここには、よく来るのかい。

翔太       すぐ近くに住んでるから。

誠太郎    したら、この家に住んどるのは、じいさん独りかね。

翔太       そうですね。ばあちゃんがだいぶ前に亡くなって、それからはずっと。

誠太郎    ああ。

翔太       母さんは、一緒に住もうって言ってるんだけど。

 

巌次、DVDケースとタッパーを持って戻ってくる。

 

巌次       何を話しとる。

翔太       じいちゃん。最中もらった。

巌次       知らない人からものをもらっちゃいかんと、母さんに教わらなかったか。

翔太       じいちゃんの友達でしょ。

巌次       友達なもんか。(DVDケースを出し)ほれ、持っていけ。

翔太       どこにあった?

巌次       ああ、仏壇にあった。

翔太       何で仏壇に上げるんだよ。

巌次       (タッパーを渡し)あとな、これ母さんに返しといてくれ。フキの煮物、美味しかったってな。

翔太       わかったよ。で、どうだった、DVD。ちゃんと見れた?

巌次       見られるも何も、パソコンに入れたら、勝手に始まったわい。

誠太郎    何だ、巌次、「でーぶいでー」なんて見るのかい。

巌次       当たり前だ。今どき、「でーぶいでー」くらい見られんでどうする。

翔太       DVD。

巌次       言ったべや。年寄りと一緒にするんでねえ。

誠太郎    いや、実は、俺も今、はまってんだ、パソコンに。

巌次       ミエ張るな。

誠太郎    本当だ。

巌次       したら、「しーでーろむ」って知っとるか。

翔太       CD-ROM。

誠太郎    でーぶいでー」と同じ形の、アレだろうが。

巌次       ふろっぴーですく」は。

誠太郎    (手振りで)こんな、四角くて、パソコンのこの辺に差し込むやつだ。

巌次       これはどうだ。「だぶるくりっく」

誠太郎    アレの左側のボッチを、二回、押すんだ。

巌次       ふん。なかなか知ってるでないか。

翔太       なんか、やたらアレとか多いけど。

巌次       やっほー」

翔太       え、何?

巌次       知らんべ。「やっほー」

誠太郎    知っとるとも。調べものをするときに使う、「検索さいと」っちゅうやつだ。

巌次       むう、「やっほー」まで知っとるとは。

翔太       いや、あのね、それヤフーって読むんだよ。ヤッホーじゃなくて。

巌次       ということは、「いんたーねっと」もやっとるっちゅうことか。

誠太郎    当たり前だ。今どき、「いんたーねっと」くらいやれんでどうする。

翔太       じゃあ、あれ知ってるんじゃないの。じいちゃん、ほら、何て言ったっけ。

巌次       何だ。

翔太       じいちゃんばあちゃんに人気のホームページ、あるって言ってたしょ。昭和八年生まれがどうのこうのってやつ。

巌次       ああ、あれか。「昭和八年生まれ・パンジィさんのホームページ」。

誠太郎    ()()(じい)」。

翔太       知ってるんだ!

誠太郎    ということは、もしや。

巌次       ……。

誠太郎    ガンヂー?

翔太       何それ。まさか、じいちゃんのハンドルネーム?

巌次       そういうおまえは、ノムリン?

翔太       ノムリン!

誠太郎    掲示板で毎朝あいさつしとるガンヂーが。

巌次       同じ八年生まれだということは知っていたが。

二人       おまえだったとは!

翔太       すごいね。やっぱり、幼なじみって、どっかでつながってるんだね。

二人       ……。

翔太       じいちゃん、俺、帰るわ。久しぶりなんでしょ、中でお茶でも飲みなよ。(誠太郎に)それじゃ、ごゆっくり。

 

翔太、退場。

気まずい間。

 

巌次       ……何しに戻ってきた。隠居生活をするなら、都会の方が何かと便利だろうに。

誠太郎    ……。

巌次       息子夫婦に、追い出されでもしたか。

誠太郎    はは。まあ、な。

巌次       脳卒中だったか?

誠太郎    ……。

巌次       何か、病気をしたと書いとったろう。「バンバンジイ」の掲示板に。ありゃ、半年くらい前か。

誠太郎    年寄りは、余計なことばかり覚えとるもんだ。

巌次       なら、なおさらのこと、病院のあるところに住んどった方がいいんでないか。なして、また、こんな田舎に。

誠太郎    いずれ死ぬのは、変わらん。どこに住んどったとしても。

巌次       そりゃ、そうだが。

誠太郎    いつまた、ああいうことがあるかわからんと思ってな。そうしたら、無性にこの町に帰りたくなったのよ。がむしゃらに働いとったころは、思い出したこともなかったんだがな。

巌次       ……。

誠太郎    俺も歳をとったということだろう。若いころは、こんな気持ちになるとは考えてもみなかった。

巌次       まったく。生きている間は戻らねえ、これっきりだって、言っとったくせに。

誠太郎    (巌次を見る)

巌次       何だ。

誠太郎    ……は、は、は。しっかり、聞いてたんでないか。

巌次       聞きたくなくとも、聞こえるわ。人の家の前で、あんな、近所中に響くような声で、「セツ子のことをよろしく頼む」だの……。(何かに気づいたように、顔をしかめる)

誠太郎    ……セツ子?

巌次       セツ子。

誠太郎    セツ子!

巌次       思い出した。

 

突然、フォークダンスの曲が流れてくる。

 

○第三場

そのまま、五十五年前に。

誠太郎、巌次、十八歳に戻る。

 

巌次       忘れもしない、あれは昭和二十六年の、学校祭だった。俺らは新制高校の、三年生だった。

誠太郎    閉会式だ。運動場の真ん中に焚き火を焚いて、その周りをみんなで囲んで。

巌次       フォークダンス。

誠太郎    その年に来たばかりの、若い体育の先生が教えてくれたフォークダンスが好評で、学校祭のしめくくりに、みんなで踊ったんだ。

 

巌次、まるで相手がいるかのように、フォークダンスを踊る。

誠太郎、離れて見ている。

 

巌次       あと二人。

誠太郎    俺は実行委員で、本部のテントにいた。おまえは焚き火に照らされて、真っ赤な顔をして、覚えたての、ぎこちないダンスを踊っていたっけ。

巌次       あと一人。

誠太郎    彼女も。お下げ髪をして、色白な頬をやはり赤く染めた、園山セツ子も、輪の中にいた。

巌次       来た、セツ子だ……!

誠太郎    あっ。

 

誠太郎、転ぶ。突然、曲が中断する。

 

巌次       何だ、どうしたんだよ。

誠太郎    悪い! コード、足に引っかけちまった。

巌次       ええっ。

誠太郎    みんな、ごめん、ごめん!(周りに謝る仕草をしてから)……曲が終わりに近かったこともあって、フォークダンスはそこで、終わってしまった。そして、閉会式の後……。

巌次       誠太郎!

誠太郎    おう、巌次。お疲れ。

巌次       この野郎!(と、つかみかかる)

誠太郎    何するんだよ。

巌次       おまえこそ、何をしてくれたんだ。

誠太郎    さっきのことか。悪かったって。

巌次       悪かったで済むか。

誠太郎    わざとでないんだから、仕方ねえべ。

巌次       バカ野郎。あと一人だったのに。あと一人でセツ子と手がつなげたのに。おまえにこの気持ちがわかるかっ。

誠太郎    知るか、そんなもん。

巌次       何だと、このアンポンタン!

誠太郎    アンポンタンはおまえだ!

 

二人、しばらく揉め、やがて周りの友人に引き離される。

少しの間、沈黙。息が荒い。

 

○第四場

再び現在。七十三歳の誠太郎、巌次。

立ち話に疲れたように、腰を下ろしている。

 

巌次       忘れとった……。

誠太郎    巌次。

巌次       ん。

誠太郎    あの時は、すまなかった。

巌次       もういい。

誠太郎    (頭を下げて)この通りだ。

巌次       くだらん。まったく、くだらんことだ。

誠太郎    いや、くだらんことはない。コードを引っかけたことじゃないんだ、巌次。俺が謝っとるのは。

巌次       (誠太郎を見る)

誠太郎    嘘をついたことだ。

巌次       嘘?

誠太郎    わざと、スピーカーのコードにつまずいた。おまえが、セツ子と手をつなぐ前に。

巌次       知っとったわい。

誠太郎    ……知っとったか。

 

間。

 

巌次       セツ子は、おまえを好いとった。

誠太郎    ……。

巌次       あの日だって、駅まで、見送りに行ったんだ。

誠太郎    セツ子が?

巌次       誠太郎が十時の汽車に乗ると言ったら、裸足で走っていったもな。その後、間に合わなかったと言って戻ってきて、ワンワン泣いとった。

誠太郎    ……。

巌次       卒業したら、自分も町を出て、誠太郎を探すと言ってな。だが、卒業する前に母さんが倒れて、弟や妹の面倒を見なければいかんと言って、結局、町に残って。

誠太郎    それで、どうなった。

巌次       父さんが薦めるところに嫁いでいったよ。

誠太郎    おまえは。

巌次       (首を振る)

誠太郎    ……そうか。

巌次       俺も謝らねばならんか。おまえに頼まれたというのに、セツ子を助けてやれんかった。

誠太郎    仕方ない。

巌次       今ごろ、どんなばあさんになっとるべな。

誠太郎    セツ子なら、歳をとったって。

巌次       そうだなあ。

誠太郎    もうお下げ髪はしとらんだろうが。

巌次       そりゃそうだ。

誠太郎    あの時代にしては、背の高い子だったな。

巌次       足が長くてな。

誠太郎    細かった。

巌次       うん、細かった。顔はどっちかというと、ふっくらしとったが。

誠太郎    色白で。目がぱっちりとして。

巌次       頭もよかった。

誠太郎    そうだ。特に国語が得意でな。作文がうまくて。

巌次       みんなの前で、先生にほめられとったなあ。高校に進む女子なんぞ、まだそう多くもない時代だったが、男にも引けをとらんかった。

誠太郎    そうだそうだ。

巌次       いい子だった。

誠太郎    本当に。

巌次       ……。

誠太郎    ……。

巌次       思い出すもんだな。

誠太郎    まだまだ、俺の記憶力も捨てたもんじゃない。

巌次       昨日のことのように、目に浮かぶわ。眩しかったな。憧れのマドンナだったもな。

誠太郎    着とるものから、俺らとは違ったな。父さんが洋物屋だったから、いつもきれいな靴を履いて、リボンなんぞしてくる時もあった。

巌次       少し、新し物好きなところがあったかな。

誠太郎    しかし、小さい弟や妹の面倒をよく見とったよ。

巌次       心根も優しい子だった。今の女子高生じゃ考えられん。

誠太郎    花が好きだったな。

巌次       うん、花は本当に好きだった。

誠太郎    特に、好きだったのは、……アレだ。

巌次       何と言っとったかな。

誠太郎    (しばらく考えて)パンジー。

巌次       (頷いて)パンジー。

 

間。

 

誠太郎    パンジー?

巌次       どこかで聞いたような……。

 

間。

 

誠太郎    ……パンジィ……?

巌次       バンバンジイ……。

誠太郎    昭和八年生まれ……。

二人       「パンジィさん」!

巌次       まさか。

誠太郎    ガンヂー。

巌次       ノムリン。

誠太郎    確かめてみるか。

 

二人、顔を見合わせて頷き、家の中へ。

翔太、DVDのケースを持って登場。

 

翔太       じいちゃん、これ、中身、演歌のCDだったよ。……あれ? じいちゃん?

 

翔太、辺りを見回し、家の中をのぞく。

中では、二人が最中を食べながら、パソコンの準備をしている。

 

巌次       それで、今は体の方は、どうなんだ。

誠太郎    左足が、時々しびれるがな。なに、普通に生活する分には、問題ない。

巌次       そうか。運がよかったな。

誠太郎    おまえは、どこも悪くないのか。

巌次       ばあさんが死んでから、娘がいろいろ気を遣ってくれてな。おかげでここ何年も、風邪すらひいとらんよ。

誠太郎    そりゃ、いい。孫もよく顔を見せるようだし、幸せもんだ。

巌次       おまえ、孫は。

誠太郎    二人いるが、二人とも女の子でな。

巌次       けっこうでないか。

誠太郎    息子の後、会社を継がせる当てがなくて困っとるんだ。

巌次       このぜいたくもんが。

 

巌次、誠太郎と会話しながら、パソコンを操作して、目当てのサイトに移動する。

翔太、そっと戸を閉め、その場を去る。

 

巌次       さあ、出てきたぞ。「バンバンジイ」だ。「掲示板」を……だぶるくりっく、と。

誠太郎    何と書き込む?

巌次       うーむ。

誠太郎    覚えとるかな。俺らのことを。

巌次       どうだべな。

誠太郎    ……。

巌次       誠太郎。

誠太郎    うん。

巌次       もう、運動はできるのか。

誠太郎    激しいのでなければな。

巌次       昔、小学校のあったところに、最近、いいパークゴルフ場ができた。

誠太郎    ……。

巌次       何だ。

誠太郎    年寄りくさいから、やらないんでなかったのか?

巌次       あ。

誠太郎    おまえってやつは。

巌次       忘れてくれ。

誠太郎    もう、忘れた。

 

パソコン画面の前で笑い交わす、二人の老人。

 

                 ――幕――